脳内「しゃべれ場!?」( (c)キネカ大森 )
キネカ大森という映画館で、大林宣彦監督作品 映画「転校生」(1982年)を鑑賞。
これは、俳優 片桐はいり の文庫本出版記念のサイン会トークの一環としての上映イベント。
- 作者: 片桐はいり
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/08/05
- メディア: 文庫
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JR大森駅徒歩5分のこの映画館に出掛けるのは、私にとってこれは二度目。
初めて行ったのは、今年の4月のこと。
今春、開館30周年を迎えたというキネカ大森。その記念イベントとして、開館当初の1984年当時に、二本立て新作映画として公開された「Wの悲劇」・「天国に一番近い島」、それが4月に同じペアで上映されることになったというので、出掛けてみた。キネカ大森は、3つのスクリーンを擁する。そのうち、席数わずか40の3番目のスクリーン「三番館」で、二つの映画が上映されると、私が観に行ったその回には、ゲストとして観客の前に、放送作家 松崎まこと・映画文筆家 松崎健夫が登場した。「しゃべれ場!?」。この映画館の名物だという、場内にマイクを回して観客同士が映画談義に花を咲かせる催しが盛り上がって、とっても面白かった。
果たして、今回の転校生。それがかかったスクリーンは、一番館。もっとも大きい134席。整理券販売となっていた。さらに言えば、立ち見席 約12枚が出た。
18:35開場時間。
普段からいつもそこにいるように、もぎりの制服姿の片桐はいりさんは、よどみなく私の入場券ももぎってくれて、そして場内に入る。(実際、よくそこにいるのだそうだ!?)
私は席にありつけた。そこからあぶれた立ち見席券の人は、場内の壁に寄りかかって立たされていた、ということにはならなかった。通路に、劇場支給のクッションを敷いて、そうして鑑賞体制に入った。なんだかやさしい映画館だこと。
おや、なんてこと、そのクッション組には、片桐はいりさんも含まれていた。最後列には、関係者席があったのに。それでも彼女が陣取った場所は、スクリーン最前列、その間際の通路、一番いいところで、よかったですね。
18:50、上映開始。
トロイメライが流れ、
A MOVIEのフレームが描かれる。
場内、だんだんと笑いが起きる。
ウケる。
そして、
涙ぐむ。
すすり上げる声が漏れることこそ
なかったが。
そして、エンドクレジット。
最後に、あたたかな拍手。
さて、トークだ。
ちょっと始まるのに時間がかかる。
お手洗いに行った席を立った人が戻ってくるのを
待っているのだそうだ。
なるほど。
はいりさんと、映画館の男性が、観客の前に立った。
これからどんな「しゃべれ場!?」、マイク回しが展開するのか、とワクワク。
トークを進行する2人によれば、片桐はいりセレクトの番組上映では、初の100人越えなのだという。
皆さまにうかがいます、『転校生』を初めて観た、という方はどのくらいいらっしゃいますか?
2人だけでなく、場内からも、軽い驚きの声が上がった。
32年前の映画を、今回、初めて鑑賞したいう観客が、相当数いた。
その事実に、この映画を何度も何度も観た客層が反応してどよめいたのである。いつもの大林映画の観客層とは異なり、若年層も相当にいた。中には、明らかに小学生も。
うれしかった。
はいりさんの知名度のおかげである。
それでは、今晩、『転校生』ねらいで来られた方はいらっしゃいますか?
…。
『はい』って言えませんよね。
当たり前である…。私も手を挙げられない1人である。
2人のトークが、続く。
しかし。
転校生主演の小林聡美のサイン色紙を場内の皆さんに回覧しますからね、
と
言われたものの…。
キネカ大森映写室に秘蔵されているその色紙。
おお、映画「廃市」、知る人ぞ知る彼女の主演第2作*1。その公開当初のもの。
当時の小林聡美による色紙に記されたマジックペンの筆跡は、時かけの原田知世のようなポキポキさが残っていた。
最前列の観客らは、回覧しようとするはずの手にあるサイン色紙は、居心地悪くなんだか戸惑っていた。
うーん。
会場進行は、観客のあっため方、観客のいじり方が、十分ではないのではないか?
私なら、
この劇場で "初めて" 転校生を観てしまった人の感想を
聞いてみたかった。
映画始まってからすぐは、ドン引きしたかもしれないけど、映画が終わる頃には、もうすっかりトリコになってたでしょ。
その後の2人が、夏休みを、将来を、どうしていくのか、気になって気になって仕方がなくて、今夜は眠れなくなってしまうかもね。あなたは、どうでした?初めて、それとも…(と、マイクを渡す)
こんな風に進行してくれたらなあ
(上は、私の中の妄想世界であり、現実に起きたことではない。)
とはいうものの。
トークの雰囲気作りの責任を、会場進行役にだけ押しつけてよいのか?
トークのもう一方の主役である観客の方でも、
マイクを取りに行こうとする動きは
にぶかった。
結局、場内に回ったマイクからあった声は一つ、だけ。
「転校生」のことではなく、片桐はいりが小林聡美と共演したテレビドラマに関するコメントだけだった。
はいりさんと映画館の方の、お二方は、これだけの人数を目の前にして、いったいここに集まった客層はどういう衆なのかを読みあぐねていたような気もした。
どんな立ち位置から発言をしたらよいものかと私も思案しているうちに…、トークは、あっという間に、というか、ずるずる、と、終わってしまった。
実際のところ、場内で回っていたのは、マイクよりも、時計の針の方だった。
もう21:30頃。
場内にいた小学生は、眠たくなっている時間に違いないだろう。
正直、欲求不満が残った。
こういうときは、観客みんなも盛り上げないと。
率先して、手を上げてマイクを求めるべきだった。
その観客の1人は私。
私にも、責任、が、ある。
映画の記憶は、映画館の記憶。
映画館の体験は、個的体験ではなく、むしろ集合的体験にこそ、価値がある。
映画館は、そこにこそ付加価値を盛っていかなければ。
そこは、館主と観客との、協働作業のはずであったのに。
そして、私なら、なんて発言してただろうか。どんな立場から?
片桐はいり追っかけ?
映画ファン?
大林宣彦ファン?
尾道三部作カルト?
尾道マニア…。
場内では、思いがあふれすぎて、とうとう、整理できなかった。
それが、
正直なところ。
けれども、
言えなかったことを、記します。
ここに、私の脳内で
ひとり「しゃべれ場!?」を
開場します。
マイク、ありがとうございます。
今日は、片桐はいりセレクションとして、よりにもよって30年以上も前の映画を、
まさに今、セミの声が響く夏休みシーズンの時に、
映画館で、
フィルムで、かけて下さいました。
ありがとうございました。この「転校生」という1982年公開の作品。
この場内にいらっしゃる方のうち、どれだけの方がご存じかは分かりませんが、この「転校生」に続いて、同じ大林宣彦監督が撮った映画には、「時をかける少女」(1983年)、「さびしんぼう」(1985年)がありました。これら3つは、合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになったものです。
その三部作と呼ばれる映画が揃った80年代後半当時。
全国から、あてどもなく若者が尾道に集まったのでした。今風の言葉で云えば、ちょうど聖地巡礼。
青春18切符で東京から大垣行き夜行人民列車に乗って、新快速を乗り継いで、夢にまで見た尾道駅…
しかし、ここで途方に暮れるてしまうわけです。当時は、今と違って、インターネットはありません。携帯電話はおろか、テレホンカードもない、黒電話、赤電話の時代。せっかく尾道に降り立っても、情報がなく、いったい何をどうしたらよいのか、分からなくなってしまうのがオチでした。
それでも、駅は観光案内があるので、そこをのぞいてみるわけです。
すると、駅を出て右へしばらく行った本屋さんが貸し自転車をしているから、そこに行けと言われる。
本屋?そこにレンタル自転車があるって?
どうして!?不審に思いながら知らない町に踏み出して行けば、果たして、本屋さんがあって、レジの人に恐る恐る尋ねてみたら、自転車を貸してくれるというのです。
そして、なんてこと。あの、尾道三部作のロケ地マップなるものを、タダでくれました。
発行、尾道市・尾道観光協会。制作、大林宣彦・薩谷和夫。「非売品 複製ヲ禁ズ」
そのロケ地マップはイラスト風のもので、道路は、丁寧にいえば、かなり簡素に記されたもの。はっきりいえば、いいかげんにしか、描かれていない。
極めつけは、この映画を撮った大林宣彦という監督のコメント「この地図を見ながら尾道で迷子になってください」、いったいどういうこと?おなぐさみは、三部作のヒロインの写真とコメントが載っている。これはお宝。
その地図を手に、自転車に乗って、いよいよ、町をさまよい漕ぎ回ります。
そうして、迷子になりながら、映画の中で見た風景に同化していきます。そうしているうちに、通りすがりの誰かから、ロケ地マップには書いていないTOMという名前の喫茶店のことを、教わることになる。
そんな店なんて、このロケ地マップに載ってないのに。茶店に入ってそこのマスターにアイスコーヒーを注文して、映画に釣られて尾道に来ましたと申し出る。
すると、大きくて膝の上で広げるようなサイズの写真アルバムが、目の前に何冊か出てくる。
すると、そこには。
転校生の、
時をかける少女の、
さびしんぼうの、
大林組のキャストとスタッフのスナップ写真。
彼らのロケ風景が、
そして、彼らが喫茶店TOMの中でくつろいでいる姿が、収められたアルバム。え、今私のこの席に。
座っていたの?
原田知世が!
それ以降の尾道の町歩きは、その人その人が経験していく個人的な出来事。
これ以上は、一概に語っていくことはできません。それでも、人の噂によれば、その、ロケ地に恋い焦がれて尾道を訪れた見知らぬ男女が出会うこともあったのだという。
ある者はカップルとなって、そのうちのある者は結婚して、子どもを連れて再び尾道を訪れてくるという話は、一つや二つではないそうだ。
今の若い人は、尾道三部作と言われても、かろうじて「アニメでない方のトキカケね。」と言ってもらえたら上等であろう。
かつて尾道は、小津安二郎が東京物語を撮影したところ。けれども、私にとっては、尾道三部作に取って代わられてしまっている。そして、今の時代は…。尾道今治しまなみ海道のサイクリストの出発拠点になっているようだ。
こうして、「私にとっての尾道」は、その土地の記憶の地層の一つになっていく。
実は、ついこの間、何年ぶりに尾道を訪ねてきました。
大林宣彦最新作の北海道・芦別映画「野のなななのか」(2014年)。その冒頭に出てくるシーンは、実は、尾道で”撮られた”ものです。そのことに気が付くことができるのは、当時の世代の者の特権です。特権?いや、むしろ、責任と言ってしまおうかか。鈴木評詞。
映画冒頭、スクリーンに現れるのは、寺島咲でもなく、パスカルズでもない。彼が、最初の登場人物。
その評詞君が座っているあのベンチは、芦別のものではない。ほかならぬ、尾道のもの。あのベンチに行きたくて、いてもたってもいられなくなった。
「野のなななのか」で銀幕の中の鈴木評詞君に出会った私は、彼のことを、決して他人のように思えない。
いや、そんなことを言っては失礼だ。彼は、大林宣彦を動かし、勤務する芦別市役所を動かし、市民を動かし、とうとう今年公開された大林監督自主映画「野のなななのか」を創った、その張本人。
今回、私が尾道を訪ねた目的は、「野のなななのか」のロケ地を訪れるためであった。
その場所は、今も尾道のあの館にあった。
そのベンチも、あった。
あってくれなければ、困る。
私だって、そのベンチに座っていたのだから!けれども、そのベンチにいた、なんだかへんて子 は、いなくなっていた。
その館の案内人に尋ねた。「ええ、よく聞かれるんですよねぇ。でも、私はあの子が今どこに行っているのかは知らなくて。」
その案内人は、こうも言った。「今の若い人は、大林宣彦と言っても、知らないのよねぇ。」今晩ここにお集まりの場内の皆さんに、さえない独り言を聞いてもらって、ありがとうございました。
親愛なる鈴木評詞さんよ、あなたが命をかけて燃やした情熱の炎は、その肉体が滅んでしまった遠い今となっても、なおさらに僕らの感情を激しくゆさぶらないではいない。
一言、言っておきますね。一夫と一美が転がった天満宮は、今もあります。
朝の連続ドラマ、はいりさんが出てた「あまちゃん」よりももう少し前に「てっぱん」っていうのがありました。あれを作ったNHKの人も、私と同じ世代の記憶を持った方のようです。
その証拠に、あの朝ドラでは、尾美としのり君をキャスティングして、そして彼のことを天満宮に立たせていましたね。
尾道は、変わってしまったところもあるけれども*2、素敵なところ。一度、訪ねてみてはいかが。
そして、あなただけの映画と、あなただけの旅に、出会って下さい。
そうそう、はいりさん。尾道には、ついぞ、一度も足を踏み入れたことがないと言うことだそうですが、その尾道には、映画館がありませんでした、6年前までは。
けれども、市民の中で映画館を作ろうという運動が起きて、シネマ尾道というハコが駅からすぐのところにできたのです。はいりさん、一度、もぎりに行かれてはいかが?
ごめんなさい、私ばかりがずっとマイクを握ってました。
マイク、お返しします。ええ、さっき、手を挙げませんでした。
そうです、片桐はいりねらいよりも、ばり、「転校生」ねらいの私でした。
2003年の銀座文化の『かもめ食堂』の舞台挨拶だって、小林聡美ねらいで行きました、なんてこと口が裂けても本人を目の前にして言えません。
日本テレビ系ドラマ「すいか」を見てたのも、そうでした。でも、覚えてますよ、婦人警官役、許して…。
そういえば、三軒茶屋から、中劇も、シネマも、ああ、ごめんなさい、マイク返します。
追伸、もぎりよ今夜も有難う (幻冬舎文庫)、買いました、読みました、す〜っごく面白かったです。キネマ大森支配人でないくせに、文庫版あとがきには、熱いものがこみ上げて、私も泣きました。はいりさんだって、書きながら、泣いてませんでしたか?感想は、またいずれ。