Goodreaderへのファイル転送で、Error writing to file エラー。原因と解決策は、濁点・半濁点文字

 iPadアプリ Goodreaderを多用して、便利に使っている。それが使えなくなった。
これまで問題なかったはずのファイル名に含まれる濁点・半濁点文字を排除したら、障害は解決した。


 デスクトップコンピュータで収集したファイルを整理して、クラウドドライブのdropboxにまとめ、それへGoodreaderから接続してファイル転送。電子資料簿として重宝。

 ところが、最近遭遇するようになった Error writing to file エラー。ファイル名の文字列数が、フォルダを含め多すぎたのだろうか?機種依存文字でもファイル名に含ませたのだろうか。

 Dropboxのヘルプには、リンクされている別のパソコンで同期されないファイルがある場合というページがあることが分かり、どの中の「不良ファイル チェック ツール」で、使ってはいけない文字 /(フォワードスラッシュ)や<(それ以下)、:(コロン)、|(垂直線)を含んだファイル名を検出してくれる。

 しかし、使用してはならない文字を含んだファイル名を私は使っていないことを、確認できた。フォルダ構造を含めたファイルの置き場所(パス)の長さもこれでもかと切り込んでいるのに。Dropboxが言っている218 文字を超えるものはないはず。

 もう少し、ウェブ検索を続けると、こんなつぶやきが。

意味がよく分からなかった。ネタかと思ったが、

qiita.com

にあるように、システムの深いところに原因があるようなので、つぶやきを真に受けることにする。確かに、今回転送しようとしているファイルの中には、その名前に 濁点・半濁点のカタカナを含むものがあった。それを潰していくことにした。そうしてから、改めて Goodreaderの同期をすると、以前の通りに同期ができた。

 いったいこれはなんなのだろうか。

 iOSファイルシステムが、iOS10.3を期に、HFS+からAPFS(Apple File System)に変わり、ファイル名に用いられる文字の扱いについて NFD (Normalization Form Canonical Decomposition 正規化形式D)が変わったらしい。

( 私には何のことか、消化できない。)

 ファイルシステムが HFS+からAPFS(Apple File System)に変わったのは、iOSがそうなったものであり、macOSはこれからなのだそうだ。そのファイルシステム変更時に、世の中で変なことが起きなければよいが。

ヤマハデスクトップオーディオシステム。Tivoli Audioから乗り換え。

 Tivoli Audio(日本仕様版)のチューナーが、ワイドFMにいつまで経っても対応しないのに業を煮やし、乗り換えることにした。

 初めて買う、ヤマハのデスクトップオーディオシステム TSX-B235。

 いい買い物をしたと思う。

 音は、Tivoli Audioに引けを取らない。違和感がない。感度も同様。下手したら、Tivoli Audioよりいいかも。実際、AM波で聞くAM放送の音が、よくなった。

 バカバカしいことであるが、これなら、と、引き続きAM波でAM放送で流してしまっている。

 実はもう一台、気まぐれで買ってしまったのが、ソニーのマルチコネクトコンポ CMT-X3CD。

 これは、失敗だった。

 最近のソニーは、ダメだと言われ続けたかもしれないが、それでもこのところは、いいものを出してきている。そんな印象があって、つい手を出してしまった。

 しかし、よくなったのは、見栄えの工業デザインだけであり、この機械に触ること(UI)、機械から得られる体験(UX)は、本当にガッカリだった。ほめたいところが、ない。

 まず、ラジオとしての電波の受信感度がよいようには、思えない。BCLブームで一世を風靡したソニースカイセンサーシリーズの矜持は、いったいどこに行ってしまったのだろう。

 AM波の音が、いかにも「AM波ですよ」みたく、安っぽいのである。

 おそらくこの手のクラスのラジオは、ソフトウェア受信機によって、音の調子はコンピュータプログラムによって、いくらでも変調できるのだろうに。ヤマハと比べて、いったいこれはなんなのだろう、ガックリ。


 製品には、AMループアンテナと、FMワイヤアンテナが付属し、本体にはアンテナ端子がある。しかし、このコネクタが、特殊なものになっている。ソニーのサポートに電話をして、このコネクタは何かと尋ねたら、

 専用部品です。オプションでお売りできるものではありません。
 専用アンテナ以外を付ける行為は、改造に当たります。

 返す言葉がない。(サポートの人自身は、よい人だったが、そのような回答を語らせるソニーには、ほとほと、打ちのめされた。)

 "専用部品"なわけないだろ。と、何年ぶりか秋葉原の町を歩いた。

 さすが、秋葉原、である。千石電商さん、ありがとう。

日本圧着端子製造(JST)XHコネクタ2ピンと判明。

https://www.sengoku.co.jp/mod/sgk_cart/detail.php?code=EEHD-0BPH
http://www.sengoku.co.jp/mod/sgk_cart/detail.php?code=7AN6-5SFL

 あとは、これにテキトーに電線を張ってみることにした。

 感度問題は、これで我慢する。


 しかし、どうしようもないのが、本体のボタン操作性。

 ボタンをタッチをしてのレスポンス。結果が返ってくるまで、何をするにしてもワンテンポ、とにかく、待つ辛抱をしなければならない。

 これには、出始めの頃(家電エコポイント以前)の、地上デジタルテレビ受信機の辛抱を思い出したが、このソニーの場合は、それに輪を掛けたストレスである。

 テレビなら、まだ、圧縮動画の展開に時間がかかるのだろう、と構える忍耐を持てる。しかし、AM波、FM波の音声(動画ではない、音声)の処理に対して、どうして時間をかける必要があるのだろうか。

 フツーのトランジスタラジオと桁一つ違う買い物をしておきながら、得られる体験がこの程度。

 ラジオ好きなら、こんなデキのものを商品として出荷することは思いとどまるはずである。

 他にも、リモコンで提供する機能についても、そう。

 ソニーは、製品に愛情を注いでいるのだろうか。

天空の蜂 - ネタバレ 観客の期待は放置したまま、裏切りのエピローグ

 1995年の夏の日に設定されたこの映画。

 そのエピローグ、舞台は2011年3月に移る。そして、' 希望 'をナイーブに語ったまま、観客は、今日の日本に置き去りにされたままで、終わる。

 イヤミな映画だ(←褒め言葉です。)

 この映画。私にとっては、中盤戦から、話の底が割れてしまい、単純で平板な映画になってしまった。だって、こんな映画(←褒め言葉、本当に!)よりも、現実の政治の方が、ずっと先までもはや引き戻せないところまで来ているのだから。

 エンドクレジットには、劇中に登場している 防衛庁自衛隊 の名は、ない。今日の映画界のプロモーションで必須要素かもしれない、マスコミの名も出てこない。

 私の想像力の中で、今日の日本の 政治 の 在り方 が ジャーナリスティックに搔き立てられた。

 この映画は、現代日本に対するテロであり、レジスタンス。

1行家計簿 世界一かんたんにお金が貯まる本(天野伴)

 「1行家計簿」を1行で済ましてしまう、そんなわけにはいかなった。人呼んで 家計簿王子 による満を持しての初の単著では、自らが持つノウハウや体験者による経験談を注ぎ込んだ結果、1行家計簿は、とうとう、1冊の本になってしまった。

1行家計簿―――世界一かんたんにお金が貯まる本

1行家計簿―――世界一かんたんにお金が貯まる本

 家計簿生活を8歳からやってきた著者ならではの「引き出し」が本書で一挙に開陳されており、ピンポイントで記帳するお小遣い帳を通して、意識を改革し、生活習慣を改善することを説いている。

 内容的には、手軽に読めてしまう。自分がムダと感じていたことを、一念発起して見える化するための方法を、具体的に親しみやすい語り口で教えてくれる。お金との付き合い方を意識するようになった若い女性、男性のケーススタディには実感が伴っており、この本を手にした読者も腰を上げるよう促してくれる。

 「やめる・減らす・替える」、「投資・消費・浪費」といった響くキーワードは、お金以外のことにも応用が利くだろう*1。他にも、家計簿をゲーム感覚で楽しんでみること(いわゆる、ゲーミフィケーション化)や、意外なライフハック(2つの口座を同一金融機関に開設してみる)など。

 著者は、一方で、自身が完全無欠な家計簿人間というわけでもなかった面も覗かせている。家計簿に関して挫折してしまったことを告白したり、家計簿に費やす時間について費用対効果を論じたりして、人それぞれに家計簿の可能性があることを明らかにしている。

 世界一かんたんにお金を貯めるために、1000円+税 で済むなら、十分安いものである。重っ苦しさ、煩わしさ のあるカケイボに対する印象が、この本によって、ずいぶん変わり、構えがちな肩の力が抜けることだろう。

 あとは、さっそく、実践、あるのみ、だ。

*1:実際、他書を彷彿とさせるくだりも登場する。レコーディング・ダイエット決定版 (文春文庫)

時空をかけるもぎり

 もぎりよ今夜も有難う (片桐はいり)を読んだ。

 映画の記憶は映画館の記憶、と心得ている私にとっては、掘り出し物。この本は、近現代における もぎり風俗史、映画館風土記

 この本を読むのに、取り上げられる映画作品のマニアックな背景知識などは要らない。
大事なのは、映画にかかわって働いている人たちや映画館に対する想像力。

 著者は、かつてアルバイトとして務めいたもぎり(チケットの半券をもぐ係員)のおおらかで々波乱に富んだ時代を振り返りつつながら、また、意図してあるいは偶然に、立ち寄る地域の映画館の旅情と歴史に思いを馳せる。

 商店が、個性豊かな町の通りがすたれ、均質化したロードサイド店や駅ビルが栄える現代。

 映画館も、巨大なショッピングモールのハコモノを埋めるための無個性なシネマコンプレックス系列の波が、味わい深い映画の館(やかた)を洗いつつある。イタリアの映画「ニュー・シネマ・パラダイス」に出てくるあの館のように、映画は、一時代の、地域の娯楽の殿堂を担っていたのだ。

 片桐はいりの筆致は秀逸で、私が訪れたことのない土地も目に浮かぶように書き起こし、私の覚えのある土地ならばハッとさせられることも含めて鮮やかだ。

 その点で、この本の情緒は、並行して読んでいた、東京遺産(森まゆみ)に、ある意味で、通じるものを感じさえした。

東京遺産―保存から再生・活用へ― (岩波新書)

東京遺産―保存から再生・活用へ― (岩波新書)

 この本が単行本で刊行された4年前から、すでに閉館になった映画館がある、現在進行系で無くなっている映画館がある。そしてまた、単行本刊行時後に閉館したが再開に向けて地域の者が立ち上がりつつある映画館さえある(兵庫県、豊岡劇場)。

 なお、本書が文庫版として新たに刊行されるに当たり、新たに書き足された文庫版後書き。それを読んで、東京都、キネカ大森の館主は号泣したそうである。わたしもこみ上げるものがあった。ああ、映画館賛歌。

 この本が、取り上げていない箱をいくつか挙げることができる。*1それが、意図してか、あるいは、知らずにかは、分からない。であればこそ、もぎりよ今夜も有難う、は、これからも続いていく物語なのだろう。

脳内「しゃべれ場!?」( (c)キネカ大森 )

 キネカ大森という映画館で、大林宣彦監督作品 映画「転校生」(1982年)を鑑賞。
これは、俳優 片桐はいり の文庫本出版記念のサイン会トークの一環としての上映イベント。

 JR大森駅徒歩5分のこの映画館に出掛けるのは、私にとってこれは二度目。


 初めて行ったのは、今年の4月のこと。

 今春、開館30周年を迎えたというキネカ大森。その記念イベントとして、開館当初の1984年当時に、二本立て新作映画として公開された「Wの悲劇」・「天国に一番近い島」、それが4月に同じペアで上映されることになったというので、出掛けてみた。キネカ大森は、3つのスクリーンを擁する。そのうち、席数わずか40の3番目のスクリーン「三番館」で、二つの映画が上映されると、私が観に行ったその回には、ゲストとして観客の前に、放送作家 松崎まこと・映画文筆家 松崎健夫が登場した。「しゃべれ場!?」。この映画館の名物だという、場内にマイクを回して観客同士が映画談義に花を咲かせる催しが盛り上がって、とっても面白かった。


 果たして、今回の転校生。それがかかったスクリーンは、一番館。もっとも大きい134席。整理券販売となっていた。さらに言えば、立ち見席 約12枚が出た。

 18:35開場時間。

 普段からいつもそこにいるように、もぎりの制服姿の片桐はいりさんは、よどみなく私の入場券ももぎってくれて、そして場内に入る。(実際、よくそこにいるのだそうだ!?)
 私は席にありつけた。そこからあぶれた立ち見席券の人は、場内の壁に寄りかかって立たされていた、ということにはならなかった。通路に、劇場支給のクッションを敷いて、そうして鑑賞体制に入った。なんだかやさしい映画館だこと。
 おや、なんてこと、そのクッション組には、片桐はいりさんも含まれていた。最後列には、関係者席があったのに。それでも彼女が陣取った場所は、スクリーン最前列、その間際の通路、一番いいところで、よかったですね。

 
 18:50、上映開始。
トロイメライが流れ、
A MOVIEのフレームが描かれる。
場内、だんだんと笑いが起きる。
ウケる。
そして、
涙ぐむ。
すすり上げる声が漏れることこそ
なかったが。
そして、エンドクレジット。
最後に、あたたかな拍手。


 さて、トークだ。

 ちょっと始まるのに時間がかかる。
お手洗いに行った席を立った人が戻ってくるのを
待っているのだそうだ。
なるほど。

 はいりさんと、映画館の男性が、観客の前に立った。
これからどんな「しゃべれ場!?」、マイク回しが展開するのか、とワクワク。

 トークを進行する2人によれば、片桐はいりセレクトの番組上映では、初の100人越えなのだという。

 皆さまにうかがいます、『転校生』を初めて観た、という方はどのくらいいらっしゃいますか?

 2人だけでなく、場内からも、軽い驚きの声が上がった。

 32年前の映画を、今回、初めて鑑賞したいう観客が、相当数いた。

 その事実に、この映画を何度も何度も観た客層が反応してどよめいたのである。いつもの大林映画の観客層とは異なり、若年層も相当にいた。中には、明らかに小学生も。

 うれしかった。
はいりさんの知名度のおかげである。

 それでは、今晩、『転校生』ねらいで来られた方はいらっしゃいますか?

 …。

     『はい』って言えませんよね。

 当たり前である…。私も手を挙げられない1人である。


 2人のトークが、続く。

 しかし。

 転校生主演の小林聡美のサイン色紙を場内の皆さんに回覧しますからね、

言われたものの…。

 キネカ大森映写室に秘蔵されているその色紙。
おお、映画「廃市」、知る人ぞ知る彼女の主演第2作*1。その公開当初のもの。

 当時の小林聡美による色紙に記されたマジックペンの筆跡は、時かけ原田知世のようなポキポキさが残っていた。

 最前列の観客らは、回覧しようとするはずの手にあるサイン色紙は、居心地悪くなんだか戸惑っていた。

 うーん。

 会場進行は、観客のあっため方、観客のいじり方が、十分ではないのではないか?

 私なら、
この劇場で "初めて" 転校生を観てしまった人の感想を
聞いてみたかった。

 映画始まってからすぐは、ドン引きしたかもしれないけど、映画が終わる頃には、もうすっかりトリコになってたでしょ。
その後の2人が、夏休みを、将来を、どうしていくのか、気になって気になって仕方がなくて、今夜は眠れなくなってしまうかもね。

 あなたは、どうでした?初めて、それとも…(と、マイクを渡す)

 こんな風に進行してくれたらなあ
(上は、私の中の妄想世界であり、現実に起きたことではない。)

 とはいうものの。

 トークの雰囲気作りの責任を、会場進行役にだけ押しつけてよいのか?

 トークのもう一方の主役である観客の方でも、
マイクを取りに行こうとする動きは
にぶかった。

 結局、場内に回ったマイクからあった声は一つ、だけ。

 「転校生」のことではなく、片桐はいり小林聡美と共演したテレビドラマに関するコメントだけだった。

 はいりさんと映画館の方の、お二方は、これだけの人数を目の前にして、いったいここに集まった客層はどういう衆なのかを読みあぐねていたような気もした。

 どんな立ち位置から発言をしたらよいものかと私も思案しているうちに…、トークは、あっという間に、というか、ずるずる、と、終わってしまった。

 実際のところ、場内で回っていたのは、マイクよりも、時計の針の方だった。

 もう21:30頃。

 場内にいた小学生は、眠たくなっている時間に違いないだろう。


 正直、欲求不満が残った。

 こういうときは、観客みんなも盛り上げないと。
率先して、手を上げてマイクを求めるべきだった。
その観客の1人は私。
私にも、責任、が、ある。

 映画の記憶は、映画館の記憶。
映画館の体験は、個的体験ではなく、むしろ集合的体験にこそ、価値がある。
映画館は、そこにこそ付加価値を盛っていかなければ。
そこは、館主と観客との、協働作業のはずであったのに。


 そして、私なら、なんて発言してただろうか。どんな立場から?

 片桐はいり追っかけ?
映画ファン?
大林宣彦ファン?
尾道三部作カルト?
尾道マニア…。

 場内では、思いがあふれすぎて、とうとう、整理できなかった。
それが、
正直なところ。


 けれども、
言えなかったことを、記します。
ここに、私の脳内で
ひとり「しゃべれ場!?」を
開場します。

 マイク、ありがとうございます。

 今日は、片桐はいりセレクションとして、よりにもよって30年以上も前の映画を、
まさに今、セミの声が響く夏休みシーズンの時に、
映画館で、
フィルムで、かけて下さいました。
ありがとうございました。

 この「転校生」という1982年公開の作品。
この場内にいらっしゃる方のうち、どれだけの方がご存じかは分かりませんが、この「転校生」に続いて、同じ大林宣彦監督が撮った映画には、「時をかける少女」(1983年)、「さびしんぼう」(1985年)がありました。

 これら3つは、合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになったものです。


 その三部作と呼ばれる映画が揃った80年代後半当時。
全国から、あてどもなく若者が尾道に集まったのでした。今風の言葉で云えば、ちょうど聖地巡礼
青春18切符で東京から大垣行き夜行人民列車に乗って、新快速を乗り継いで、夢にまで見た尾道駅
しかし、ここで途方に暮れるてしまうわけです。

 当時は、今と違って、インターネットはありません。携帯電話はおろか、テレホンカードもない、黒電話、赤電話の時代。せっかく尾道に降り立っても、情報がなく、いったい何をどうしたらよいのか、分からなくなってしまうのがオチでした。


 それでも、駅は観光案内があるので、そこをのぞいてみるわけです。
すると、駅を出て右へしばらく行った本屋さんが貸し自転車をしているから、そこに行けと言われる。
本屋?そこにレンタル自転車があるって?
どうして!?

 不審に思いながら知らない町に踏み出して行けば、果たして、本屋さんがあって、レジの人に恐る恐る尋ねてみたら、自転車を貸してくれるというのです。

 そして、なんてこと。あの、尾道三部作のロケ地マップなるものを、タダでくれました。

 発行、尾道市尾道観光協会。制作、大林宣彦薩谷和夫。「非売品 複製ヲ禁ズ」

 そのロケ地マップはイラスト風のもので、道路は、丁寧にいえば、かなり簡素に記されたもの。はっきりいえば、いいかげんにしか、描かれていない。

 極めつけは、この映画を撮った大林宣彦という監督のコメント「この地図を見ながら尾道で迷子になってください」、いったいどういうこと?おなぐさみは、三部作のヒロインの写真とコメントが載っている。これはお宝。

 その地図を手に、自転車に乗って、いよいよ、町をさまよい漕ぎ回ります。
そうして、迷子になりながら、映画の中で見た風景に同化していきます。

 そうしているうちに、通りすがりの誰かから、ロケ地マップには書いていないTOMという名前の喫茶店のことを、教わることになる。
そんな店なんて、このロケ地マップに載ってないのに。

 茶店に入ってそこのマスターにアイスコーヒーを注文して、映画に釣られて尾道に来ましたと申し出る。

 すると、大きくて膝の上で広げるようなサイズの写真アルバムが、目の前に何冊か出てくる。

 すると、そこには。

転校生の、
時をかける少女の、
さびしんぼうの、
大林組のキャストとスタッフのスナップ写真。
彼らのロケ風景が、
そして、彼らが喫茶店TOMの中でくつろいでいる姿が、収められたアルバム。

 え、今私のこの席に。
座っていたの?
原田知世が!


 それ以降の尾道の町歩きは、その人その人が経験していく個人的な出来事。
これ以上は、一概に語っていくことはできません。

 それでも、人の噂によれば、その、ロケ地に恋い焦がれて尾道を訪れた見知らぬ男女が出会うこともあったのだという。
ある者はカップルとなって、そのうちのある者は結婚して、子どもを連れて再び尾道を訪れてくるという話は、一つや二つではないそうだ。


 今の若い人は、尾道三部作と言われても、かろうじて「アニメでない方のトキカケね。」と言ってもらえたら上等であろう。

 かつて尾道は、小津安二郎東京物語を撮影したところ。けれども、私にとっては、尾道三部作に取って代わられてしまっている。そして、今の時代は…。尾道今治しまなみ海道のサイクリストの出発拠点になっているようだ。
こうして、「私にとっての尾道」は、その土地の記憶の地層の一つになっていく。


 実は、ついこの間、何年ぶりに尾道を訪ねてきました。
大林宣彦最新作の北海道・芦別映画「野のなななのか」(2014年)。その冒頭に出てくるシーンは、実は、尾道で”撮られた”ものです。そのことに気が付くことができるのは、当時の世代の者の特権です。特権?いや、むしろ、責任と言ってしまおうかか。

 鈴木評詞。
映画冒頭、スクリーンに現れるのは、寺島咲でもなく、パスカルズでもない。彼が、最初の登場人物。
その評詞君が座っているあのベンチは、芦別のものではない。ほかならぬ、尾道のもの。

 あのベンチに行きたくて、いてもたってもいられなくなった。

 「野のなななのか」で銀幕の中の鈴木評詞君に出会った私は、彼のことを、決して他人のように思えない。

 いや、そんなことを言っては失礼だ。彼は、大林宣彦を動かし、勤務する芦別市役所を動かし、市民を動かし、とうとう今年公開された大林監督自主映画「野のなななのか」を創った、その張本人。

 今回、私が尾道を訪ねた目的は、「野のなななのか」のロケ地を訪れるためであった。

 その場所は、今も尾道のあの館にあった。
そのベンチも、あった。
あってくれなければ、困る。
私だって、そのベンチに座っていたのだから!

 けれども、そのベンチにいた、なんだかへんて子 は、いなくなっていた。
その館の案内人に尋ねた。「ええ、よく聞かれるんですよねぇ。でも、私はあの子が今どこに行っているのかは知らなくて。」
その案内人は、こうも言った。「今の若い人は、大林宣彦と言っても、知らないのよねぇ。」

 今晩ここにお集まりの場内の皆さんに、さえない独り言を聞いてもらって、ありがとうございました。


 親愛なる鈴木評詞さんよ、あなたが命をかけて燃やした情熱の炎は、その肉体が滅んでしまった遠い今となっても、なおさらに僕らの感情を激しくゆさぶらないではいない。


 一言、言っておきますね。一夫と一美が転がった天満宮は、今もあります。
 朝の連続ドラマ、はいりさんが出てた「あまちゃん」よりももう少し前に「てっぱん」っていうのがありました。あれを作ったNHKの人も、私と同じ世代の記憶を持った方のようです。
その証拠に、あの朝ドラでは、尾美としのり君をキャスティングして、そして彼のことを天満宮に立たせていましたね。


 尾道は、変わってしまったところもあるけれども*2、素敵なところ。一度、訪ねてみてはいかが。
そして、あなただけの映画と、あなただけの旅に、出会って下さい。


 そうそう、はいりさん。尾道には、ついぞ、一度も足を踏み入れたことがないと言うことだそうですが、その尾道には、映画館がありませんでした、6年前までは。

 けれども、市民の中で映画館を作ろうという運動が起きて、シネマ尾道というハコが駅からすぐのところにできたのです。はいりさん、一度、もぎりに行かれてはいかが?
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 ごめんなさい、私ばかりがずっとマイクを握ってました。
マイク、お返しします。

 ええ、さっき、手を挙げませんでした。

 そうです、片桐はいりねらいよりも、ばり、「転校生」ねらいの私でした。

 2003年の銀座文化の『かもめ食堂』の舞台挨拶だって、小林聡美ねらいで行きました、なんてこと口が裂けても本人を目の前にして言えません。

 日本テレビ系ドラマ「すいか」を見てたのも、そうでした。でも、覚えてますよ、婦人警官役、許して…。

 そういえば、三軒茶屋から、中劇も、シネマも、ああ、ごめんなさい、マイク返します。

 追伸、もぎりよ今夜も有難う (幻冬舎文庫)、買いました、読みました、す〜っごく面白かったです。キネマ大森支配人でないくせに、文庫版あとがきには、熱いものがこみ上げて、私も泣きました。はいりさんだって、書きながら、泣いてませんでしたか?感想は、またいずれ。

*1:これも、大林宣彦監督作品。 「転校生」後、小林聡美には、同様の路線のコメディアンヌのオファーが殺到したそうだ。それに対して、大林宣彦は、彼女を起用して、福永武彦原作の九州・柳川を舞台に、正反対な文藝小作を撮ったのだという。それが、「廃市」。

*2:喫茶店TOMだって、とうの昔になくなっている。あのアルバムは、いずこ。今、TOMが見られるのは、「転校生」が始まってしばらくして、商店街の中に現れるTOMの看板。